神社としてできること
東日本大地震の当日には、帰宅困難者に社務所を開放して食事を提供し、四十名の方が宿泊しました。そして二日後には支援物資を積み職員など三名を被災地に派遣しました。災害時に必要なのはスピードと情報の共有です。
宮城県護国神社には、大変お世話になりました。この護国神社を拠点に神社や避難所を回りました。護国神社は県内各所に遺族会の支部を持っている為、県内の被災地の情報が入ってくるのです。東京と被災地を幾度も往復し、運んだ食料や衣料の支援物資は十九トンを超え、それ以外にも企業の協力を得て二十トンの水や二万個のLEDライトを手配しましたが、支援物資については四月初めにやっと一段落しました。
トラックで被災地の神社や避難所に支援物資を配っている時、お社も流され、食べる物も無いのに、その場にお賽銭が上がっていたり、お米やお塩などのお供え物がしてある光景を目にしました。そして、こうゆう時こそ、地域の人たちの心の拠り所となり得る社が必要だと感じ、何れは小さな仮社殿を建てようと思っていました。
続いて四月からは、全国の神職仲間に呼びかけ、すべてを流されてしまった神職のため、白衣・装束・祭具を集めて被災地に届け、五月からは地域の人たちの心の拠り所である、仮社殿の設置に力を注ぎ、五十社以上の被災神社に仮社殿としての小さな社を届けたり、設置したりしました。
被災地の神職仲間がニーズを聞き、その情報を全国の神社や神職に流し、必要な物を集め、送られてくる支援金は活動資金に充てました。一生懸命やっていると誰かが協力してくれる。それは阪神大震災のときにも経験しました。
被災者の為に何かをしてあげたいと思っている人たちは多いのですが、何をどうやって支援をしたら良いのか判らない方が大半ですし、みんな目に見える支援がしたいのです。私は、そういう人たちと支援してもらいたい人との仲取り持ちをしているだけです。
被災から一年が経過し、春を迎えると、被災地の宮司様や氏子たちから「祭を復活したい」という声が上がりました。その声を受けて神輿・山車・太鼓を募集し、希望とマッチングしながらお届けしてきました。
また、一年半後からは、被災地のまつりに合わせ縁日を出店しています。主に都内の神社に呼びかけ、縁日のテキヤ役をしてくれる神職たちと共に、毎年二回、縁日機材をトラックに積み込み、六十人規模で被災神社のまつりを盛り上げています。
被災地の元気を取り戻すにはまつりの再興が一番。地元を離れてしまった人々や仮設住宅の人たちも神社に集まってくるし、子供たちも笑顔になる。お年寄りが神輿に手を合わせ、涙を流している姿が目に焼き付いています。
震災から二年後、「仮の社は設置してもらったが、神社のシンボルである鳥居があればいいのになあ」という声に応えようと、平成二十五年夏からは、オリジナルの簡易鳥居の設置活動も並行しており、五十基以上の設置が終わりました。
仮社殿や神輿、山車、賽銭箱などを提供してくれた方々には、写真を添付した報告書を送り、被災神社の宮司様からも礼状が届くよう配慮し、支援者と被災地をつないでいます。この絆がこれからも目に見える支援としてつながってくれることを期待しています。
活動紹介
・令和4年年5月現在、皆さまのご支援により
神輿:30基
仮社殿:66社
山車:5基
鳥居:56基
賽銭箱:32個
縁日: 7回
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